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の定義を「主に労働をして賃金を貰うという生活をしている者」と考えると、社会人になってから5年目に突入している。
例えば、社会人でない時代に、色々とクリエイティブでアクティブな生活をしていた者も、「社会人」という肩書きを張りつけられると、生活様式が一変したりする、なんていうことは決して珍しくない。
でも、それは別に残念なことでもなんでもない気がする。
残念というのは、あくまでその人物を第三者として見ている者の感想。
もっとあの人のあんなところを見ていたかったな。
とかそういうこと。
もし、本人が社会人としてのルーティーンを「残念だ」と本当に思っているのならば、その内にやりたい事をやり始めるはず。
それもしないままに、ただ「残念だ」と思ったり、言ったりするのは、まだ「残念だ」が足りていない証拠。
やりたい事が出来ないのなら、きっとその人物のクリエイティブな部分やアクティブな部分は滾々と涌き出る泉ではなかったということだ。
もちろん、一旦止まったかに見えた源泉が蘇ることもあるだろうし、それまでとは全く違う方向に水が流れ行くこともあるだろう。
それら全てをひっくるめて、決定を下すのは彼または彼女なのだ。
影響を及ぼすモノは、数多くあると思う。
しかし、決定しているのは本人に間違いない。
例えば人に影響を及ぼす原因に、近付くことすらも出来ない生活というのもあって、それは俺としてはエアーポケットにはまってしまうのに似ている気がする。
そこから、脱出できるかどうかというのも、あくまで脱出しようともがくか否かが問題。
よく「貴方のお陰で」とか「あいつがいなかったら」とかという台詞を自分自信も使うが、それは多分そういう人物を求めているから出会うのであって、その後の影響というのも一種の触媒の役割に過ぎない。
タイミング良く手にする本・音楽・映画、タイミング良く出会う人物・風景など、挙げたらきりがないが、それらもやりたいという欲求に対して、好影響というのを求めているから出会うのだと思う。
そう考えると、悪いタイミング、悪い出会いというのは、自分が気付かない隠れた感情が沸沸と沸いている時なのかもしれない。
それは、これまでの価値観では「悪い何某」かもしれないが、振り返ってみればそれが原因で物事が好転したりするのかもしれない。
だからこそ、自分の声はよく聞かなければならないし、求めているものに対し素直で居ようと思う。
だからこそ、影響を見極めてしっかりと感じ取ろうとする人物は尊い。
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