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中学・高校と徐々に増えていったが、高3の時に残っていたのは1つ。
そいつは少しずつ成長して大きくなった。
痛みが欲しい。
Yes.
目立ちたい。
Yes.
特定の人間を遠ざけたい。
Yes.
特定の人間を呼び寄せたい。
Yes.
穴のサイズは空虚のサイズ。
ルール。
気持ちがついてこない限り拡張はしない。
そろそろ、拡張の時期だ。
一番近いのは新越か。
中学生だけど県で賞をもらう位だそうだ。
母方の小母の娘はアニメーターだ。
私も絵描きだ。
ライブペインターだけど。
なんか、血か、と思ってしまう。
先日、彼岸で母が実家へ帰り、中学生の方の従兄妹と会ったらしい。
従兄妹は数年前に渡した私の描いた絵を大事にとっておいているらしい。
当時、中学生には理解不能なんじゃないかと思って渡した絵だったので、嬉しかった。
「最近描いた絵があったら見たい」と言われたらしいが、最近描いた絵はちょっとな、と躊躇せざるを得ない。
ちょっとグロ過ぎて、SEXシンボルの多用があるので、思春期の女子にはあんまりだな、と思うからだ。
更に暗い。
大して知らない子供や自分の子供ならまだしも、親戚の子供となると、変な影響を与えても悪いな、とエゴが頭を擡げる。
例えば、クラブなんてのは犯罪の温床になり得るだろうし、夜遊びだって、Rockだって、Punkだってそうだ。
それでも子供は育っていくと言えばそれまでだし、臨床じゃ人生を決定しているのはDNAだって話だ。
それでも、生きずらい人生への道しるべを囁くかのような作品を、思春期の人間が目の当たりにするというのには抵抗がある。
気にせずに与えてみるべきなのだろうか。
それに対する俺の返答は棘ばかり。
伝えるのは、他者を見下せば楽になるという計算式。
それは、俺にとっては紛れもない事実だ。
世の中がクダラナイからこそ、俺は楽しくやれる。
クダラナイ中から宝石を探し出す魅力に魅せられた男。
そうやって、捻くれて捻くれて捻くり通して、俺がいる。
普通の幸せなんて認めない。
良いなと思っても、そこへは行かない。
そして、行けない。
行ったら、負けな気がするのかな、と思う。
それって「働いたら負けかな」といった彼に近いかもしれない。
もちろん「働いたら負け」という理論はわからないし、興味もない。
そもそも“てめぇ、派遣だのバイトだのして、たまには働いてんじゃねぇかよ”と突っ込みたくなる。
ただ、本当になんの労働もしていないというなら、興味は湧くと思う。
それはそうと、集団でしか物事を為せず、陰口やつまらない極小な策略をめぐらす人間がなぜ居るのだろうかと思う。
黙殺。
女出来ると優しくなるな。
空見たり、風感じたり、花見たり、緑の臭いに気付いたり。
なぜだろうか。
本能か。
バイブル的バンド、と言うか、人物。
清春。
あなたが居たから俺が居る。
20日の朝聴いていたのはこのアルバム。
一目で分かる愛想笑い
まさか僕がはまらないから
~MASTERBATING SMILE/1~
BABY 使いまわしたセリフ僕に見せてくれないか
そう 化けの皮を被りこよなく騙して欲しい
~SPOON&CAFFEINE/3~
誰の真似より誰の言葉より
疑う事
疑う事
誰の声より誰の夢より
逆らう事
逆らう事
BOY
~少年-screw mix-/6~
僕という人間が作られないのを自覚したい
自分で選び出した 自分で話しかけた
君という人間が作られてるのをぶちまけたい
見苦しくてもそれは正直と言う当たり前の僕さ
~TELL/7~
MARIA 作られた世界を壊して 優しい涙を下さい
MARIA 生まれつき器用になれない 僕のそばにいて下さい
MARIA まだ見ぬすべてに
~MARIA-screw mix-/12~
そんなに話題がないならあんたが作ればいいのさ
~KNEETS TO BREAK/13~
いつ頃のインタビューか正確な記憶はないが、まだ10代の頃だから、DrugTReatmentからCORKSCREWあたりだったと思う。
「よくライブなんかで“頑張って”って言われるんだけど、特別頑張らないよって答える。何故ならいつも頑張ってるから」に痺れた。
屁理屈だというのは、その時にもわかっていたけれど、未だに忘れられない言葉。
あなたの世界が好きで、半ば神格化していて、本当の彼を知りたいとかっていう望みは全くない。
プロのミュージシャンという奴と何か出来るのなら、間違いなく彼を選ぶ。
何故って、絶対に危険で、絶対に楽しいから。
もう10年、そう思ってる。
な被写体。
nico氏の写真。
何だか良い。
やっぱ、密室は駄目だな。
密室は。
1対1が不得手。
人は沢山の方が、良い意味で流れられる。
色々へ流れられる。
上の写真が良い例。
閉じた空間に居るのは、余程合わないと厳しい。
対人、恐怖症まではいかないし、別に病気じゃないけど、苦手症。
言葉が出なくて、息が詰まる。
不器用。
不器用。
不器用。
オダユウジのドラマを観た。
今日が最終回。
観たのは今日を含めて4話くらい。
悪くなかった。
ここからはドラマから直結する話ではないが、テレビ自体殆ど見ない生活をしていても、「青臭いこと」「正直でいること」「諦めない事」「夢を持つこと」等々を推奨する番組が多い気がする。
そういう番組が悪いとは思わないけど、それに感化され過ぎてしまうと『病気んなるんだぜ』と思った。
というか言った。
そうだねと言われた。
「嘘をつかない」「金より名誉よりも気持ち」そういうのばっかり見つめちまうと病気になるぜと。
俺がそうだから。
生き証人であり、そういう人沢山知ってる。
そういう番組を作ってる人は、その事知ってるのかな、と思った。
知識としてではなく、経験として知ってるのかなと。
そうやって生きてるのかなと。
そうやって病気になったらば、用無しのお払い箱なんじゃないのか。
そこから、自分の居場所を見つける・作るのはかなりのパワーが居るということを伝えるべきでないのか。
作り手の人間がそうして生きているのだとしたら、それはかなり皮肉な作品だ。
世の中が息苦しくて嫌だから、そうやって扇動するのか、自らの無力感をも計算に入れているのか。
しかしながら、それを下手に解釈して、それに従って生きて、本当に苦しむ人間が、少なくとも、間違いなく存在することを理解しているのだろうか。
寂しいだけなのか、世が求めているから作っているだけなのか。
求められていれば金になるから作るのか。
気付いて熟考して欲しい。
世の中の人間は大半が愚民であることに。
心の底から「でかい夢やでかい希望」を求めている者など殆ど居ないのだ。
求めていると思っているだけなのだ。
求めているところもあった自分を誇りたいのだ。
求めているところも持っている自分を誉めたいのだ。
その実、求めていると思わされているだけなのだ。
本気でそれを追い求めた末に、どんな未来が待ちうけているのかなんて、想像すら出来ない者が多いのだ。
多分。
「民衆が求めるのは、強い刺激と大きな声なのだ」
~エウレカセブン/デューイ・ノバク~
子育てに苦しみ我が子を絞殺するのも居る。
人をゴミのように捨てるのも居る。
それは悪でなくてなんだろうか。
物事には、その全てに代償が付き纏う。
人間は多面的だ。
もちろん俺の感覚も唯一の正解ではないし、明日の朝には考えも変わるかもしれない。
明後日には、希望を見出す人物と出会うかもしれない。
だからこそ、「唯一つのことを正解だ」とする考えは危険だと思う。
そう。
たった今書き記した俺の考えが危険であるのと等しく。
1.空月崖街海
うねる空。
光る月。
そそり立つ崖。
そびえる人工建築。
波立つ海。
昨夜の絵は、個人的には4部作のつもりで描いたんだけど、一つ目の絵は写真には収めなかった。
2.創造
朝の出来事を引きずり(決して悪い意味ではない)上手く描けなかった「創造」。
もっと、美を追求したものを描きたかったが、未だに大きな画面に感覚が合わず、撃沈。
画面のサイズに感覚を慣らしたい。
NoImage
3.生殖器
こちらも写真は無し。
嫌悪する奴はすればいい。
「またそういうネタか」と思う奴は思えばいいと思って描いた。
4.視線
画面に漂う男女の視線を違わすのか、合わせるのかで悩み、結局黒目を描き入れないという方法で逃げた。
数日前にTKYに送ったメール「白黒の人間が白黒の人形を描くのだ」というのが実証されてしまった瞬間。
「嫌悪感・好感・疑問を持った方はお気軽に話し掛けていただいてOKです。喋りながら描けます。」という看板を“2”の途中から掲げて描き続けた。
4~5人の人が話し掛けてくれ、これまでのライブペイントとは違う感覚が得られた。
「私も絵を描いていたんですよ」と異口同音に言った二人の少女(おそらく年下と思ったため)と、キックボクサーの古川氏が印象的。
力を得た。
ありがとう。
話は戻って看板について。
ライブペイントというと、絵描きがもくもくと描き続け、見物人の「キレイ」とか「気持ち悪い」とか「意味がわからない」とか「あれはなんだろう」という思考が、描き手に伝わらないものが殆どだと思う。
観客がたとえ凝視していたとしても、それが何故か(何によってなのか)というのは非常に伝わりづらい。
それでは勿体無いと思い、上記の看板を掲げた。
昨夜のイベントは、2~3時頃から急激に観客数が減ったので、その看板の効果は決して濃いものではなかったと思うが、成果は得られた。
このイベントはこれからも続くだろうと思うし、次も描いて欲しいという言葉も、今夜行ったPossibilityでもらい、俺は若干有頂天で、主宰のカチュは収穫と今後の集客の道しるべを模索している。
看板は、今後も掲げていきたいと思う。
その効果が十二分に発揮できることを願う夜。
以上、写真はNico氏から拝借
Nico:ttp://mixi.jp/show_friend.pl?id=431386
無鉄砲で計算屋で寂しがりで小さく、温かく冷たい、粗野で自己中なdgrに、前回familyで会った時から興味を抱いてくれたNicoに心からの感謝を。
以下、自家撮。
4.視線
ミラーボールとナスカン
重要なもの程、簡単に繋がっている。
少し可笑しくなった。
Thanks Tomo,Nori,Nico,Kach,Nao,Qubota,Furukawa,GF,SHR,IKI,NBT,Sakurai,K.A.I,Iyoku Nao&TAKA.
そんな気分だ。
何か一つの要因なんてない。
今日までの道程も、今朝目にしたあの絵の写真も、朝家で聴いてきた黒夢も、新しい眼鏡も、電車で流れたKornも、今日の仕事も、仕事終わりのビールも、東急ハンズの入ったクソビルも、買い物してる雑魚共も、手に入れたテープや刷毛も、一人で乾した500mlも、BMXのトレーラーも、全てがNEOへと誘う。
今日はやれる。
そんな気分だ。
でアイデアに頼るデザイン。
俺のはそれだ。
今日は朝からとんでもないものを見てしまった。
一つの真理のようなもの。
インスタントでなく、アイデア云々の問題ではないその作品。
何にもわかっていなかったし、なんにもわかっていない事実を目の前に突き付けられてしまった。
それでも、不思議と恐くない。
1ヶ月前とは違う、波。
もっとゆっくりしていたかった。
ただただ、そう強く思う。
鼻水がティッシュを飛び越えた。
だから、俺は明日描く。
何かが見えればそれで良し。
何にも見えなくてもそれはそれで良し。
多分、楽しいのは確実。
そうやって生きていければ良い。
二人が。
二人の肖像とワイングラス/1917~1918年/Marc Chagal
「誕生日」よりもこちらが好き。
1ヶ月毎の起伏の激しさったらない、7-8-9。
所々で軽口叩いてるけど、もうしばらくは良いやって感じ。
などと書いたら、確か1、2年前も同じ事言ってたことを思い出した。
結局なかなか変われないもんだな、と実感。
それでも今は、ご馳走様。
疲れるのはしばらく御免こうむりたい。
全く冷たい奴だ、と自分のことをそう思う。
例えば、「私はこれ(仕事なり趣味なり集中出来るもの)」ってのを持っていて欲しいのに、なかなかそういう人には出会わなくて、出会ったら出会ったで俺は「私はこれ」ってのを簡単に捨てられる(というかセーブ出来る)。
「私はこれ」ってのを持ってる人ってのは、多分そういう異性要らなくて、俺なんかは顕著にそうで、だからなかなか上手くいかないんだろうなと。
要するに俺が中途半端過ぎるというわけだ。
最近上記のことを2人に話してみたけど、「そんなもんかね」という風に聞いていてくれた。
格好つけて言えば、苦節26年と半年。
ようやっと。
ようやっと辿り着いたところがココかよって嘆きたくもなる。
そんなんだからこそ、絵なんて描いていられるんだろうけどさ。
嗚呼。
シャガールさん。
幸せな絵の描き方を教えて下さい、って思いを馳せようにも、今日の空には台風の雨雲が居座っている。
明日は台風一過となることを望む。
世間じゃよく、どうせ死ぬんだから楽しく生きようなんて言うけど、オイラは逆で、どうせ後で死んで身軽になるんだから、生きているうちにヒドイ目に合おう。
辛く生きようと思ってる。
幸せになろうなんて、考えてないね。
~北野武~
そんなもんかね。
とにかく新たな発想だったのは間違いない。
仕事は真剣にはやらない。
真剣にやっている人間がいると周りの人間が疲れる。
~名無し~
その逆も然りってことで。
今日は久々に2ちゃんをロムってみたが、何だか数年前に比べて辛辣な、非生産的な書き込みが増えた気がする(単順にロムったスレが悪かったという可能性もある)。
人のことを言えた義理ではないが、あげ足取りや闇雲な中傷が多い。
それが、全て悪いというのでもないし、それが面白みだという意見もあるだろうし、そう思えなくもない部分が俺にもあるから時々見るんだけど、なんだかな、あまり面白くなくなったな、というのが率直な感想。
そんな中でも、「冥福を祈る」と「お悔やみ申し上げる」の使い分けは勉強になった。
mixiのとあるコミュニティでも、殺伐としたトピックがあった。
始まりは、よく見うけられる「教えて君」に対するお説教的内容で、真正直な人のマジレスなわけだけど、熱の篭ったマジレスに対する冷ややかな視線というのが、その後のコメントに現れていて、どちらのコメントも痛々しかった。
もう一つ。
久々に目を通した新聞から。
秋葉原以降、掲示板への殺人予告書き込みで逮捕・補導される件数が急増中。
~某新聞記事~
個人が簡単に利用できる吐き出し口(こういうBlogも含めて)が増えたというのも一つの原因で、潜在的な要因が確実に増えているのかどうかは知らないけれど、気持ちは良くないな、と思った。
嗚呼。
死んだら身軽になるんだからって、確かにそうかもしれないけれど、それじゃ生きてるうちも楽しく、死んで身軽にお気楽に、ってのは駄目かね。
北野さん。
もちろん「陽」の素晴らしさを享受するのには、それなりに深い「陰」を知らなきゃ駄目だってのはわかってるけどさ。
正常の定義はよくわからないけれど、人間は「生きるためのバランス」をとっているんであって、「正常でいるためのバランス」をとっているんではないんだそうだ。
オカルト/田口ランディーにあった。
そうかもね。
俺は発狂したことはない。
けれど、泥のように起き上がれないことはあった。
結局、それまで持っていた自分の世界でなんとかなった。
危機は脱した。
でもその時は正常ではなかった、と思う。
精神って、発狂しながらバランスとっているんだよ。
狂気ですらバランスなんだ。
生きるためのバランス。
~中略~
ひとには、みんなその人だけのバランスがあるね。
ああ、きれいな言葉だなあ。
バランス。
~バランス/0000/オカルト/田口ランディー~
「俺だけ」なんて、天地がひっくり返ったって思いやしないけれど、なんでこんなに生きずらいのだろうか、とよく思う。
バランス。
なんでこんなにとりずらいんだろうか、と。
異性に限らず、人を好きになるのは簡単だ。
でも、それを上手く伝えるのは難しい。
同性なら、出来る我慢が、なぜ異性だと出来ないのだろうか、と思う。
今日この頃。
もっと楽に生きられたら、もっと上手くバランス出来たら、というのは贅沢な無い物ねだり、かな。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
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