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紛失。
なぜどいつもこいつも俺から離れていくのか、疑問。
母に言ったら、「あんたはお金(金目の物)に執着心がなさ過ぎるからよ」と言われ、妙に納得する。
とりあえずクレジットカードとキャッシュカードは止めた。
悪用の痕跡は無し。
不幸中の幸いか。
しかし、最近くたびれてきていたとはいえ、頂き物のカードケースだったので、後味が悪い。
な夜。
エッジだった。
ただし、方向性は色々あるんだな、と思った。
彼等は人脈を作るために集まるのか。
酒を飲むためか。
踊るためか。
軟派か。
SEXか。
自慰か。
叫ぶためか。
遊びか。
付き合いか。
何にしても、普段よりも色々と考えさせられる夜だった。
と言ってはみたものの、昨夜充分に楽しんだということは間違いがない。
イベントのベクトルは様々で、一人で来ていたらつまらないだろうな、というイベントはきっとこの世に数多くあるが、不思議とそんなイベントにはそういうイベントを楽しくしてくれる友人が付き添っている。
それは、イベントを選ぶ嗅覚故か、俺の思考回路の賜物か、それとも友人に恵まれての幸運なのか。
きっとそれら全てだと思う。
BGMはゴキゲンな「SHOJIMA trio」。
先日mstを観に、見に、聴きに行ったWoodmanというLiveHouseで出遭ったShojima氏の音源。
Liveでかなり気に入ってしまい、500円のCDを1000円で買ったら、アルバムのサンプルをサービスしてくれたという熱く奇特な方、Shojima氏。
RAPやってたという話や、自転車屋だという話をしたら「連絡をくれ」と言っていたので、ついさっきメールを出した。
Shojima氏はBianchに乗っているという話を聞いたが、アルバムに「空色の自転車」というタイトルの曲を見つけて気分が上がった。
掃除はというと、CDをエンドレスでループさせ、ビール片手に、捗った。
大事なものを奥深くにしまい込んでしまったことにさっき気付いて、少し動揺したが余程重要ならその時に引っ張り出すだろうし、それ程重要でなければ存在すらも忘れるだろうということで納得した。
部屋は、多少広くなった。
自転車3台。
なんとか置けるかも知れない。
残る問題は、今週末T氏が持ってきてくれるPCディスプレーのサイズ次第。
本を買い、駅を越える。
階段は帰宅する乗客が降りてくるので、登りエスカレーターに乗る。
夜になると、駅へ登る人影はまばら。
登り切るころ、後ろを振り返ると誰もいない。
向き直る頃、エスカレーターが平らになり、それまで階段だったパーツが吸い込まれていくところは、梳きバサミのようにギザギザ。
そこへ、足から入って行けたら面白そうな気がした。
多分、そこは鋭利に光って、体はトコロテンの様に、鰹節の様に、ヒラヒラと宙に舞う。
きっとその先は、宇宙のような空間。
昔昔ビッグバンが起こった世界。
クォークがどうのなんてよくわからない。
ここ数年、なぜノーベル賞をこんなにも大騒ぎするのかもわからない。
田中さんくらいから、やけに騒ぐようになったと感じる。
偉大な、権威ある賞であるならば、昔から騒げ、と思う。
また、他の文学賞やら生理学・医学賞、平和賞、経済学賞も取り上げて欲しい。
そう実感せられる夜。
満足し、充足し、何かおかしいと思いつつも、何もおかしくない気もする。
楽しく、明るく、幸せすら感じつつ、そうではないと感じる断片が自分自身の中にある。
虚無と言ったら大袈裟で、キザったらしく肯定は出来ない感覚。
ただ、やはり、ここだけが俺の居場所ではないのだということについては確信を持てる。
果たして、彼が俗物かと言われれば、答えに窮するが、
「俗物と呼んでもらって構わない」
という台詞には、感慨深いものがあり、今になって説得力が増している事に気付かされる。
「ゼネラルな物の見方をしろ」
か。
証券会社勤務の方の台詞。
「いやぁ。いつ何処からどんな波が来るかってヒヤヒヤしてますよ」
か。
端からどう見られたって構わないが、幸せもんにはなりたいなと思う。
たとえそれが、「ヴィヨンの妻」のような幸せであったとしても。
感動、運動、感激、感謝、吐露、暴飲、暴挙、喪失、怠惰、緩慢、仕事、焦燥、仕事、読書、音聴、などが短期間に集中して訪れた時に、その感覚が巻き起こる。
暫くぶりのこんにちは。
懐かしく、ほろ苦く、甘酸っぱくはない。
もうそんな歳。
だけど、やはり、嫌いではない。
困ったもんだと思いつつも、そういう自分に安心もする。
電話。
電話か。
苦手なんだよな。
電話。
昔から、好きじゃなかったけど、多分前職のせいもある。
秋。
駆動氏の作品だけを見に。
仕事は16:00で抜け出し、店までおびき寄せた姉に試乗車を貸し、2人六本木まで。
時間的にはギリギリだったが、なんとか駆動作品を探し出し、芸術なんてなあんまりわからないねという話をされ、する。
俺は、駆動氏の絵は好きだ。
姉はよくわからんといった顔をしていた。
駆動氏本人の弁「表と裏」というのは何となくわかった気がした。
強烈な蛍光色が印象的。
いつもより女性的だと思った。
その他の作品については、駆動氏の絵を探す段で通りすがりに見た位だが、「ニワトリ」が面白いなと思った。
それ以外にはタイトルを覚えようと思わされるものが見つからなかった。
もっとゆっくりとしていれば、何かに出会ったのかもしれないと思うが、やはり何者にも出会わなかったかもしれないとも思う。
人生と一緒。
その後、六本木から店まで坂を下り、店から秋葉っ原までタクシー移動。
18:20頃WOODMAN着。
バーカウンターでビールを待っていたらSHRに肩を引っ叩かれる。
酒を酌み交わし、「NOTE(mstのバンド)」を聴く。
予想外に良かった。
「お前等、何がそんなに悲しいんだい」と思わせられる、音色インスト。
特に、2曲目。
涙が流れるかと思った。
自然と歌詞が出てきた。
形に出来たらいいと思った。
それはあなたを思ってのこと。
何も、未練がましいものではなくて、ただ、悲しげに夏の情景が思い浮かんだ。
そんなこと(音楽を聴いて涙を誘われること)なんて初めてで、自分で自分に戸惑った。
こうした感動を感じられるようになったことに感謝。
多分そういう意味で、忘れられないだろうし、そういうことを伝えたいから会いたいと思うのだ。
その後の「Shyojima」というバンドにもやられた。
安定した歌声に、ドラム研究家のドラム、落ち着いたベース。
500円のCDを1000円で買ったら、音源のサンプルをくれた。
熱い。
これまで行ったどのライブハウスよりも、音が良かった。
流石、楽器屋の地下。
それにしても、あそこでのカード決済には、何故サインが要らないのか。
不思議。
でも、自分が主である限り、舵取りの責任は負わなくては成らない。
幸い俺には背負うものがあんまりない。
母くらいなものだ。
父は生きてはいるし、同じ姓だが、父と思っていない。
そちら方の祖父母に対してもリスペクトはない。
むしろ一度も会った事はないが、母方の祖母の方が親近感がある(祖父は亡くなっている)。
とある人物に感化され、物事を決め、請い、保留にされ、過ごしている内に、魅力が減退するというのはよくあること。
それは、「縁がなかった」のだと思う。
今は、それの更に上をいく。
すなわち「行かなくて良かった」と思う。
今出来ることは俺が当然にこなして、今やらなければならないがやれていないことを示唆してくれるのなら、これから順繰りにやってみる価値はある。
そう思った、経営者と後輩とで過ごした夜。
と血。
拡張したピアスの穴からとくとくと流れ出す。
拡張して3日。
普段の生活では痛みを感じないけれど、消毒の際にピアスを外したり、心拍数が上がると疼く。
右の耳に比べて、穴を持った左の方が脂っぽい。
外気や細菌に抵抗しているのだろうと想像する。
俺自身が痛みを忘れても、体は、穴を持つ耳は、常に戦っているのだと思うと心強い。
頭と体は裏腹さ
左に右折
みだりに向ける銃口
今回のターゲット...
~16 MOTOY Free Style/MOTOY/B-Boy Park2000/9/3約束の土地で…~
裏腹だ。
俺はあんまりそんなことないから、それに気付けなかったんだろうなと。
試合筋。
気持ちが入り過ぎて、筋肉のバネが溜まり過ぎて、アドレナリンが体中を駆け巡って、いつもと違う運動になる。
いつもより高い跳躍。
いつもより強い瞬発力。
いつもより長い滞空時間。
それに体がついてこない。
実感したのは一度だけ。
忘れもしない110mハードル。
見事に転倒。
筋力と体の習慣。
時にシンクロしないとそういう結果になる。
そんな追憶をしていると、より遠い気がする頭と体のシンクロなんて尚更難しいのではないか、と思う。
意識がついてこない事もある。
自分が出来ることを人が出来ないことはなかなか理解できない。
人が出来ることを自分が出来ないというのは腑に落ちない。
けれど、生きることなんてその連続。
自分で出来ると思っていたって、出来ないことも多いものだ。
そういうことを鑑みて、今夏の整理。
つけたつもりだけど、「会いたい人を挙げなさい」の問いには、真っ先にあなたの名を挙げるだろう。
これからずっとという気もする。
それでも、忘れずにいたとしても、それをずっと心にしまっておかなければならない人生もあるのだと思う。
「どうしても先生に会わずにいられなくなったら、どんなにしても先生をさがしに行きます。」
「上野の地下道(当時のホームレス街)に先生がいらしても行きます。」
~中略~
「私は先生のことを忘れられたら忘れます。」
~みずうみ/川端康成~
結局、上記科白を発した少女は先生とは別のとある男と所帯を持つ。
俺は、「きっと忘れられたんだろう」とは思えない。
今のこの気持ち、そして、1ヶ月後1年後数年後のそれ。
変わらぬその気持ちは膿ではないということは自信を持って言えるし、また、そうでなくてはならない、と思う。
そういえば、大正だか昭和のなんとかと言われたな。
その時代に生きていたかったと、時々思う自分は否定できない。
「アーツVSシュルト」
ちょうど母が風呂入ってて、一人で観てたのもあって涙ぐんだ。
信じられない試合運び。
「てめぇの試合じゃ客はエキサイトしない。お前の試合はつまらない。/試合前インタビュー:アーツ」
ってのを有限実行してくれた感あり。
番組の構成、K-1のお膳立てが上手かったと言うことも出来るだろうが、この試合は凄かったと思う。
来月38歳な男とは思えない試合。
例えば、この試合でアーツが負けたとしても、シュルトにここまでやらせたことが凄いと思う。
熱かった。
一度ダウンを奪われるも、全く引かない姿勢。
ひたすら懐に入り込み、ダウンを狙う姿勢。
ローやボディに逃げない姿勢。
判定による勝利。
4連覇を見事に阻止した。
感動した。
「俺のせいでK-1がつまらなくなったなんてのを耳にするけど、それはお前等(他の選手)が弱いからだろ。/試合前インタビュー:シュルト」
散った。
リングサイドに駆けつけたレミー・バンナも熱い。
37歳暴君万歳な夜。
youtube
http://jp.youtube.com/watch?v=BMLy-BGjrEI
http://jp.youtube.com/watch?v=wNI9WMSm7eI
店の売上とか、代理店の売上とか、月の支払いの振りこみ手数料とか、色々考えてみて、実際に小売店で支払うお金ってなんなんだろうか、と考える。
事故にあって、賠償責任が発生しても、示談であれば公的な義務は発生しなくて、それでもそこには現金が舞い降りて、実際何処から何処へどれ位流れて、と考える。
交通費を貰って、手土産を買って、数万円で数百万円の投資をさせて、買って売ったら手数料が落ちて、いくら動かしたらいくらの手数料で、取引所や会社へ流れて、従業員に還元されて、と考える。
もっと小さな所でお金を回せたら、利益は減らなくて、物々交換に近い仕組みが出来るけど、それでは貧富の差が大きくなりすぎるのはわかってて、それをキレイに解決出来るのなら「赤」も悪くないとは思いつつも、そんなことは不可能だって歴史は証明してて、俺も納得は出来ない。
忙しいのに数量A、暇なのに数量A、安物を売っても数量A、高価なものを売っても数量A、物質的価値がないものを売っても数量A、それじゃなにかおかしいな、とは思う。
嗚呼。
いっそ孤島へでも行きたくなる。
「~!!!」とつけたい所だが、このBlogの趣旨は「嘘と真の冷静な判断」だから、「笑」とか「苦笑」とか「行き過ぎた口語・感嘆表現」はタブー。
「感嘆符」もタブー。
何ともならない、どうしようもないと思いつつも、生きていれば何とかなってしまうものだなと実感。
少し悲しいし、さよならから始まったものは今のところない気がするけど、少しの優しさは芽生えたかなと思う。
それを、とりあえず枯らさない様にしようと思う。
でも、それは多分、さよならから始まったんじゃない。
それは、こんにちははじめましてから始まったんだ。
そして、ありがとうが続いていく。
ございましたでは終わらせない。
ございます。
「タブー」という単語で幽遊白書の海藤優を思い出し、以下の曲が頭に浮かんだ。
「ございます」で微笑みの爆弾も思い出した。
youtubeで聴いてみたら、こんなにアニメ声な歌だったかと驚いた。
瞳を開けて見る夢にはかなり棘があるのだろう
人を信じ嘘を知って涙が痛いよ
瞳を開けて見る夢にはいつも振りまわされてる
この街が勝手な程捨てられないのさ
瞳を開けて見る夢だけ強く抱き締めているよ
風が吹いて雨が降って心は揺れても
瞳を開けて見る夢なら今は傷ついても良い
この空が勝手な程素直になれるよ
~Day Dream Generation/馬渡松子~
中学生だけど県で賞をもらう位だそうだ。
母方の小母の娘はアニメーターだ。
私も絵描きだ。
ライブペインターだけど。
なんか、血か、と思ってしまう。
先日、彼岸で母が実家へ帰り、中学生の方の従兄妹と会ったらしい。
従兄妹は数年前に渡した私の描いた絵を大事にとっておいているらしい。
当時、中学生には理解不能なんじゃないかと思って渡した絵だったので、嬉しかった。
「最近描いた絵があったら見たい」と言われたらしいが、最近描いた絵はちょっとな、と躊躇せざるを得ない。
ちょっとグロ過ぎて、SEXシンボルの多用があるので、思春期の女子にはあんまりだな、と思うからだ。
更に暗い。
大して知らない子供や自分の子供ならまだしも、親戚の子供となると、変な影響を与えても悪いな、とエゴが頭を擡げる。
例えば、クラブなんてのは犯罪の温床になり得るだろうし、夜遊びだって、Rockだって、Punkだってそうだ。
それでも子供は育っていくと言えばそれまでだし、臨床じゃ人生を決定しているのはDNAだって話だ。
それでも、生きずらい人生への道しるべを囁くかのような作品を、思春期の人間が目の当たりにするというのには抵抗がある。
気にせずに与えてみるべきなのだろうか。
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