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バイオリズムの変化。
そのあたりをしっかりと汲み取ってくれる存在がありがたい。
Thanks Tool.
体と心は別物だと感じ入る夜。
サガン・サリンジャー・ドストエフスキー・カフカ・サン=テグジュベリ・ツルゲーネフ・村上春樹・村上龍・竹山道雄・太宰治・灰谷健次郎・井上ひさし・赤坂真理・芥川龍之介等の名前が挙がるような話をする。
やはりまだまだ好きなのだなと思い至る。
俺が生きる理由はそれだけ。
愛を知りたい。
志半ばで死ぬかもしれないし、思ったよりも早く真相を知ってしまうかもしれないが、それは誰にもわからない。
その後は芸術の話へと雪崩れ込む。
根本は一緒で、表現(表に出す)方法が違うだけだから、10年近く一緒に居るのだなと思う。
二人とも不器用で不躾尖っていて、それで温かい。
Thanks Mst.
の定義を「主に労働をして賃金を貰うという生活をしている者」と考えると、社会人になってから5年目に突入している。
例えば、社会人でない時代に、色々とクリエイティブでアクティブな生活をしていた者も、「社会人」という肩書きを張りつけられると、生活様式が一変したりする、なんていうことは決して珍しくない。
でも、それは別に残念なことでもなんでもない気がする。
残念というのは、あくまでその人物を第三者として見ている者の感想。
もっとあの人のあんなところを見ていたかったな。
とかそういうこと。
もし、本人が社会人としてのルーティーンを「残念だ」と本当に思っているのならば、その内にやりたい事をやり始めるはず。
それもしないままに、ただ「残念だ」と思ったり、言ったりするのは、まだ「残念だ」が足りていない証拠。
やりたい事が出来ないのなら、きっとその人物のクリエイティブな部分やアクティブな部分は滾々と涌き出る泉ではなかったということだ。
もちろん、一旦止まったかに見えた源泉が蘇ることもあるだろうし、それまでとは全く違う方向に水が流れ行くこともあるだろう。
それら全てをひっくるめて、決定を下すのは彼または彼女なのだ。
影響を及ぼすモノは、数多くあると思う。
しかし、決定しているのは本人に間違いない。
例えば人に影響を及ぼす原因に、近付くことすらも出来ない生活というのもあって、それは俺としてはエアーポケットにはまってしまうのに似ている気がする。
そこから、脱出できるかどうかというのも、あくまで脱出しようともがくか否かが問題。
よく「貴方のお陰で」とか「あいつがいなかったら」とかという台詞を自分自信も使うが、それは多分そういう人物を求めているから出会うのであって、その後の影響というのも一種の触媒の役割に過ぎない。
タイミング良く手にする本・音楽・映画、タイミング良く出会う人物・風景など、挙げたらきりがないが、それらもやりたいという欲求に対して、好影響というのを求めているから出会うのだと思う。
そう考えると、悪いタイミング、悪い出会いというのは、自分が気付かない隠れた感情が沸沸と沸いている時なのかもしれない。
それは、これまでの価値観では「悪い何某」かもしれないが、振り返ってみればそれが原因で物事が好転したりするのかもしれない。
だからこそ、自分の声はよく聞かなければならないし、求めているものに対し素直で居ようと思う。
だからこそ、影響を見極めてしっかりと感じ取ろうとする人物は尊い。
ブクブクと泡立つ界面活性剤。
さっさと涸らして、緑を育みたい。
ほぼいつもと変わらない起床時間。
いつもより早く家を出て、目鼻耳を刺激しに出掛ける。
これという事もせず、田畑の間を走り抜ける。
午後は雨だと聞いていたので、早めに折り返す。
カインズホームにて緑を購入。
結局苔は買わず。
ダラダラと走りながら、時間の余裕を感じると、自分の気持ちの余裕のなさに気付かされた。
なんでこう、汲々としてしまうのか。
もう少し減らしたい。
世に言う助言ってのは、内容は当たっていようが外れていようが関係ないのだと思った。
要は自分の事を考えてくれているという事実。
それに気付けるだけマシか、と思ってしまう。
それで満足するわけではない(助言にはしっかりと意味があるわけだから、蔑ろにして良いというのではない)ので、しっかりと溶かし込みたい。
しかし、雨なんて降りそうもない位晴れてるな。
今日の日中は、汗だくになって犬へ行って、細々とした話をして、イケベでチューナーを頂いて、花屋に寄って帰った。
サドルプランター計画の一環だったんだけど、「ポトス」良いかもと思った。
残念ながら、苔玉は売ってなかったけど、水耕栽培っての。
それなら行けるかもと思った。
まずは行方不明のサドルを発掘しなければ。
嗚呼。
それにしても俺は浮かんでばかり。
沈ませてばかりなのに。
首をもたげる罪悪感。
多分、お互いそんなもの求めていないのに。
じゃないと思う半面、普通だと思う。
そもそも普通なんて存在しないと思うけれど、平均的というのはやはり頭の中にある。
俺の生活/俺の考え方(嫌なことは出来る限りしない/考えないのはどうかしてる)は、俺にとっては普通だけど、多分世間一般の平均ではない。
そんなことを言い出すと、キリがないのは明白だが、ふとした時、その辺のずれ具合に辟易する。
それは、俺の思う平均すら、世間一般の平均とはずれがあるからだ。
「俺は何にも無理はしてないし、それって普通だよ」なんて思いながらも、「この歳でこんなことしてる奴はあんまり居ないだろうな」と思うことが、普通/平均それぞれが俺の主観であることを証明している。
何者なんだろう俺は。
続く。
行き止まりなら戻れば良い。
続く。
その旅路の途中では何とぶつかるかはわからない。
人生のゴールへは遺伝子が導いているなんて「フロイト先生のウソ」に書いてあったけど、仮にそうだったとしても、先は見えないのだから、未来予報は不可能。
今はまだ、すっかり間違ってしまったと思ってる。
それが、間違いでなかったと思う未来は大別して2つか。
一つは、間違ってしまったという発想をさせる「とりあえずのゴール」に、たどり着くこと。
もう一つは、あなたの言うように「こういう今」という一つの状態を受け入れられるようになること。
俺は、まだ前者を捨てられない。
だから、間違ってしまったと思ってる。
でも後者の「今」も悪いものではないと思う。
ずるいなって思わなくもない。
でも、だからって責める気にはならない。
みんなずるい。
こんなことを書き記す俺もずるい。
それでも、友人を思うのは、友人が正直だから。
それでも、あなたを思うのは、あなたが正直だから。
もう少し荒波を楽しんでも良いんじゃないだろうかと、少し思うこともある。
何せ俺は知らないことが多すぎる。
でも、もうとある冒険をしないという選択をしたってそれは何にも悪いということではない。
落とせなかったし、落ちたくなかったから今がある。
今は、俺にもあるし、あなたにもある。
こうやって時間が流れていって、多分、あなたを好きでなくなることはないんじゃないかと思う。
今後、線路が交わるのか、交わらないのか、同じ軌道に収まるのかはさっぱりわからないけれど、線路は続く。
そうやって考えて、間違ってないと思うのは、けっこう誰でも同じなのかもしれない。
そうしないと潰れてしまう夜もあるし、立ち上がれない朝もある。
そう思った。
人を受け入れられないのだと気付いた。
スタート地点の錯誤。
パンを盗むXを目撃したAとB。
A「法治国家において違法である」
というスタート。
B「彼はあのパンがなければ死んでしまうのかもしれない」
というスタート。
A'「通報をする」
というゴール。
B'「見逃す」
というゴール。
スタート地点が変わると、ゴールも変わる。
ゴール探しだ。
写真は大分前になくしてしまい、未だに探している指輪。
何処にも売ってない。
見つからない。
政治(与党・最大野党)不信が強くなり、共産党の入党者が増えているというニュース記事がYahoo!ニュースにお目見え。
平成2年50万人をピークに、ここ10年は40万人前後を推移していた党員数が、今年に入って約9,000人増加しており、その2割が30歳未以下の若者、更に2割が60歳以上の高齢者ということだが、なんだか今更って感じだ。
若者と分類される入党者に関しては就業不安に起因する政治不信、高齢者と分類される入党者に関しては医療や年金制度に起因する政治不信が、主な入党要因とされている。
マルクスか何か知らないけれど、俺がそういうことを思っていたのは大学の頃から3年位前まで。
今も、今の日本が転覆したら面白いだろうなとか、クーデターが起きないかなと思わなくもないが、それは単に小説などの影響と言って構わないと思う。
具体的には「5分後の世界・愛と幻想のファシズム/村上龍」「人間失格・走れメロス/太宰治」「ゲバラ日記/チェ・ゲバラ」「悪について/中島義道」等。
昔俺が持っていたそれは、現実だった。
やりたい仕事もないし、自分を殺してまで仕事をする気はなかった。
好きなことは仕事にしてはならなかった。
信じられるものは殆どなかった。
働くことの意味がわからなかった。
生きることの意味がわからなかった。
だからこそ、そこにある今にないものを求めていた。
そんな、所謂、若者の物憂い感覚が、現実に破壊とか、価値観の転倒を希求していた。
もちろん、今も社会は信じていないし、消えれば良いと思う人間や価値観は山積みだけど、それは、あんまり今の俺に関係ないところで動いている気がする。
年金問題だと言ったって、そもそも貰える可能性がないじゃないかと思う。
だからあまり関係がない気がする。
アジア圏の若者は日本人の若者に比して、学習意欲や就業意欲において貪欲だというニュースをよく目にする。
ニュースを鵜呑みにするわけではないが、偽りの平和の中で育った人間よりも、苦境より高みを目指す人間に強い思いが生まれ、強い精神が宿るのは自然なことと思う。
今後、外国人労働者は増える一方だとも言う。
日本人は、日本にいながらにして、外国人と競争しなくてはならない。
仕事がなくなる。
ワーキングプア。
国の方針に納得が出来ない。
安い賃金で労働力を確保しなければならない現実を作ったのは誰か。
それもあまり今の俺には関係がない。
日本の民主主義は、全員が少しずつ我慢をしましょうという民主主義だと言われる。
ちょっと我慢し過ぎたんじゃないかと思う。
だから、今回の共産党のニュースを見て、何を今更と思った。
俺は今回のニュースで取り沙汰されている彼らと同年代だが、我慢せずにしまった。
というか、我慢の限界点が彼らより低かった。
俺がなくしてしまった感覚が現代に現れてきたという気がした。
亡くしてしまった思い。
それは何かに縋ること。
何かに頼ること。
何かのせいにすること。
本当に、心底、陶酔出来るような、人生を賭けられるような思想に出会った結果、共産党へ入党するのなら、話はわかるし、自分自身にも「英雄が現れれば、彼のために死ねる」という考えはある。
しかし、それは消去法によって導かれるべきではない。
自民も民主も当てにならないから共産党。
等というのは愚の骨頂。
仮に、共産党が駄目であった場合、彼らは言うだろう。
「共産党がもっとしっかりしていてくれればな」と。
最初に挙げた「指輪」。
それは、一種運命的な出会いだった。
自分で選び取った。
だからこそ、未だに追い求めている。
人生の舵は自分でとらなければならない。
そう思わされた夜。
相場の世界では、一般のニュースに○○ブームというものが流れ始めると、その相場は仕舞いだという見方がある。
このニュースに関してはどうか。
例のCDRを聴きながら。
こんな文章ではちっとも伝わらないと思いながら、書いて書いて書き続けてみた。
多分、この行為は直ぐに止まるものでもないけれど、ずっと書いていても言葉のバーゲンセールになってしまって、それは無価値になってしまうような気がして、それはとても恐い。
だから、いつまでも書いていて良いものでもないと思う。
それでもたまには書くと思う。
何故なら、私は、この短い期間で愛を垣間見たから。
正直、愛ってなんだかわからない。
愛してるなんて心の底から言ったことも思ったことも多分ない。
そこにコンプレックスがある。
間違い無く父親を憎んでいる。
半ば無関心ですらいる。
母の思いにも応えられない、出来の悪い息子だ。
愛ってなんだかわからない。
だからこそ、去年の秋だったか冬だったか、レイコさんと口論になったりした。
愛を知らなくて何が悪いと思った。
愛を軽軽しく口にするのにも腹が立った。
世の中の愛なんてその殆どが偽者だと思っていた。
だからこそJ-POPは嫌いだった。
説得力のある言葉や、立ち居振舞いに惹かれた。
それで、俺は嘘はつくまいと思った。
そうやってLyricを書き連ねた。
けれど、それでは愛は見つからなかった。
目の前に突きつけられたのは、社会の痛みや苦しみだけだった。
死んでやろうかと何度も思った。
苦し紛れに友人に頼った。
恋人に頼った。
親に頼った。
人間に頼った。
クラブの音楽に頼った。
彼等の酒に頼った。
今、俺が息をしているのは、彼等のお陰だと思う。
感謝してもし切れぬほど。
それでも愛はなんなのかわからないでいる。
そんな中を生きてきて、やる気を出せるものを見つけた。
昨年の5月の転職が契機。
実質的に、やる気を見出したのは今年の5月。
その間の一年間は、ノラリクラリと過ごした。
精神的には安定し、今手に入れたいものの大半は手中に収めているつもりだった。
けれど、一つだけ足りなかった。
それが愛。
よくわかりもしない不透明な、不確実な、曖昧なものを手に入れようともがいてみたけれど、結果は惨憺たるものだった。
楽しい中の空虚。
ありふれた言葉で言えば、それは体の中心にぽっかりと穴が開いたような感覚。
それまでは、小学生の頃から俺は穴だらけだったから、大きな穴に気付けずにいただけなのだと思う。
目立った不良でもなく、教師には良い顔をし、裏で舌を出す中の上。
結局は、いじめに遭い、教師の介入があり、うやむやの中に仲直りをしたが、それはただ単に体裁を繕っただけで、根本的な解決にはなっていない。
それなのに、その頃の俺は寂しくて、そのお膳立てに乗ったのだ。
更には、汚い金の取得方法を心得た。
そんな中、両親の喧嘩を耳にしてトイレで泣いた。
そんな~12歳。
中学に入り引越しをして、部活に入ったが性に合わなかった。
この頃友達だと思っていた人間からは10年以上連絡がなく、こちらかも連絡はとらない。
部活はサボリまくって、逃亡者の看板を背負った。
悲劇のヒーローを気取ったつもりだった。
引きこもり、熱と嘔吐にうなされては立ち直り、毎晩のようにゲームセンターに出入りし、汚い金を使った。
汚い手を使い、性的欲望をも満たした。
相変わらずの中の上。
そんな~15歳。
陸上と音楽に出会い、多少外交的にはなったが、性格は攻撃的になった。
女は好きだった。
安らいだ気持ちになっていると思っていた。
温もりに逃げ、もてる自分を創作した。
部活に励み、部長を務め、勉強は上位20~30/240位前後、生徒会に入り、バンドで歌い、井の中の蛙全開な時期。
上の下。
そんな~18歳。
大学に入る頃、創作活動を始める。
RAPやグラフィティがそれだ。
グラフィティに関しては、高校卒業直前に警察に捕まって以来封印する。
それをきっかけに音楽活動に精力を傾けるが、相変わらず女の影は絶えない。
それでも、穴は埋まらない。
音楽や絵を生活の糧にという考えも頭を掠めたが、結局は嫌いなことを仕事に選ぶ。
汚い部分ばかりを目撃し、疲弊する。
病む。
そんな~2?歳。
そして、今に至る。
言いたい事を言え、その上で温かみを感じられる空間を求めていた。
それは突然に目の前に現れ、包み込んだ。
と思っていた。
けれど、それは思い違い。
けれど、それは独り善がり。
けれど、それは俺の責任で悲しい結末をもたらした。
邪魔されたなんて思わない。
仕事をし、空いている時間にやりたいことをやる。
空いてるのは木曜日。
感謝をすべき人間は皆仕事をしている。
彼等の空いている時間に俺は仕事をしている。
木曜日の使い方は俺の自由。
そしてその他の夜の使い方も俺の自由。
やりたいこと。
それはLiveであったり、自転車に乗る事であったり、アルコールや音楽に身を任せることであったりする。
そのために俺はいくらでも無理をする覚悟だったし、事実そうしてきたつもりだ。
けれど、それは俺の人生の本懐ではないことは明らか。
彼女が「俺の邪魔をするのが辛い」というのは、あくまでメインの思考ではないのではないかと思ってしまう自分がいる。
それでも、それが本当にメインの思考なのだと信じる自分もいる。
その感覚を言葉で言い表すことは、非常に難しく、この文章すらも殆ど意味のないものに変えてしまうのかもしれないが、書かずには居られない。
このまま終わってしまうのはとても悲しい。
悲しい。
それはあくまで主観であって、彼女がそうとるのかはわからないし、きっと現状から回復することはないのだろうとも思う。
ここにあなたが居ないのが切ないのじゃなくて
ここにあなたが居ないと思うことが切ない
~それが大事/大事MAN Brothers~
彼女の色彩感覚、空気感、それらは今も部屋に残っている。
あの時間の、あの電車に残っている。
この街に息吹いている。
あと数週間、このままでいたら、このまま消えてしまいたいとすら思うだろう。
ここで、こと尽きても良いと思うだろう。
でもそれでは詰まらないし、格好良くない。
だから俺は生きていこうと思う。
相変わらず生きていこうと思う。
彼女はよく言う。
幸せでありますように。
俺もそんな気持ちで居られる。
幸せでありますように。
その点だけでも大きな感謝をしたい。
ありがとう。
でも、本当はその隣に居られたらと今も思う。
そういう夏。
これはもしかして―。
と思う夏。
夏は終わったと思ったけれど、GFの台詞が正しいのかもしれないと今ふと思った。
“Summer Never Ends。夏はまだまだだぞ~野郎ども~!”
死ぬまでそれで。
是非それでお願いします。
そんな気分。
誰もがそうやって生きていると思ってきた。
だからこそ、こういう結果が今、目の前にある。
人生なんてそんなもの。
だから、誰かに過度の期待をしたり、本当に青臭いことをしたり、なんてもうすまいと誓ったんだ。
自分は自分、人は人、一番大事なのは自分。
それを破った罰なのだろうか。
でも破らせてくれる出会いがあったのだ。
唯一つの救いは、それに気付いてくれたこと。
殆どの人間はそこへも考えが至らない。
ただ、なんとなく過ごし、軽軽しく何かの一番を決め付けようとする。
仕事で一番になる。
スポーツで一番になる。
政治で一番になる。
全く興味がない。
だからHIP HOPは止めたんだ。
頭の中が全くまとまらないから、続きはまた気が向いたら書くとしよう。
ただ、今言えるのは、本当に失ってはならないものを失ってしまった気がしているということだけ。
思い過ごしの可能性も充分にあるが。
彼等はとても楽しそうだった。
良かった。
もう次のステップに進むんだな。
俺は止まったまま。
1歩ずつ重い足を動かさなければならないのだけど、まだ言う事をきかない。
武江氏と笑ったり、ナベタと笑ったり、人のことを願ったり、そのために何かしたり、GFと握手をしたり、Noriと握手をしたり、シモと酒を飲んだり、MSTと落ち着いたり、走ったり、結構色々して、疲れて、帰りにビールなんて気分じゃなくて、家に着いて、何度目かの「最後の煙草」を燻らせて、何の不満も無いのに、満足でもない夜。
したり顔は出来ない。
胃の下に何か入ってるまま、ずいぶん長い時間が経った様な感覚。
重い。
さっぱり酔わないのは何のせいなのか。
わかり切っている疑問が浮かんでは消える。
誰にも受け止めて欲しくないと言ったら嘘だけど、これは俺の問題であって、他の誰のものでもないと思う。
ゆっくりと眠りたい。
急性モラトリアムとでも言おうか。
ちょっとfamily所ではなくなってしまった。
小林すまん。
睡眠が必要なようだ。
記憶の再構築。
寒い。
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