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~青二才徒然~コメント時PASSは空欄でOK
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きついんだろうなと思う。
それに対する俺の返答は棘ばかり。
伝えるのは、他者を見下せば楽になるという計算式。

それは、俺にとっては紛れもない事実だ。
世の中がクダラナイからこそ、俺は楽しくやれる。
クダラナイ中から宝石を探し出す魅力に魅せられた男。
そうやって、捻くれて捻くれて捻くり通して、俺がいる。

普通の幸せなんて認めない。
良いなと思っても、そこへは行かない。
そして、行けない。
行ったら、負けな気がするのかな、と思う。
それって「働いたら負けかな」といった彼に近いかもしれない。
もちろん「働いたら負け」という理論はわからないし、興味もない。
そもそも“てめぇ、派遣だのバイトだのして、たまには働いてんじゃねぇかよ”と突っ込みたくなる。
ただ、本当になんの労働もしていないというなら、興味は湧くと思う。

それはそうと、集団でしか物事を為せず、陰口やつまらない極小な策略をめぐらす人間がなぜ居るのだろうかと思う。
黙殺。
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女出来ると優しくなるな。
空見たり、風感じたり、花見たり、緑の臭いに気付いたり。

なぜだろうか。
本能か。

ghjkl.jpg
な被写体。
nico氏の写真。
何だか良い。

やっぱ、密室は駄目だな。
密室は。

1対1が不得手。
人は沢山の方が、良い意味で流れられる。
色々へ流れられる。

上の写真が良い例。

閉じた空間に居るのは、余程合わないと厳しい。
対人、恐怖症まではいかないし、別に病気じゃないけど、苦手症。
言葉が出なくて、息が詰まる。

不器用。
不器用。
不器用。

オダユウジのドラマを観た。
今日が最終回。
観たのは今日を含めて4話くらい。
悪くなかった。

ここからはドラマから直結する話ではないが、テレビ自体殆ど見ない生活をしていても、「青臭いこと」「正直でいること」「諦めない事」「夢を持つこと」等々を推奨する番組が多い気がする。
そういう番組が悪いとは思わないけど、それに感化され過ぎてしまうと『病気んなるんだぜ』と思った。
というか言った。
そうだねと言われた。
「嘘をつかない」「金より名誉よりも気持ち」そういうのばっかり見つめちまうと病気になるぜと。
俺がそうだから。
生き証人であり、そういう人沢山知ってる。

そういう番組を作ってる人は、その事知ってるのかな、と思った。
知識としてではなく、経験として知ってるのかなと。
そうやって生きてるのかなと。

そうやって病気になったらば、用無しのお払い箱なんじゃないのか。
そこから、自分の居場所を見つける・作るのはかなりのパワーが居るということを伝えるべきでないのか。
作り手の人間がそうして生きているのだとしたら、それはかなり皮肉な作品だ。

世の中が息苦しくて嫌だから、そうやって扇動するのか、自らの無力感をも計算に入れているのか。
しかしながら、それを下手に解釈して、それに従って生きて、本当に苦しむ人間が、少なくとも、間違いなく存在することを理解しているのだろうか。
寂しいだけなのか、世が求めているから作っているだけなのか。
求められていれば金になるから作るのか。

気付いて熟考して欲しい。
世の中の人間は大半が愚民であることに。
心の底から「でかい夢やでかい希望」を求めている者など殆ど居ないのだ。
求めていると思っているだけなのだ。
求めているところもあった自分を誇りたいのだ。
求めているところも持っている自分を誉めたいのだ。
その実、求めていると思わされているだけなのだ。
本気でそれを追い求めた末に、どんな未来が待ちうけているのかなんて、想像すら出来ない者が多いのだ。
多分。

「民衆が求めるのは、強い刺激と大きな声なのだ」
~エウレカセブン/デューイ・ノバク~

子育てに苦しみ我が子を絞殺するのも居る。
人をゴミのように捨てるのも居る。
それは悪でなくてなんだろうか。

物事には、その全てに代償が付き纏う。

人間は多面的だ。
もちろん俺の感覚も唯一の正解ではないし、明日の朝には考えも変わるかもしれない。
明後日には、希望を見出す人物と出会うかもしれない。

だからこそ、「唯一つのことを正解だ」とする考えは危険だと思う。
そう。
たった今書き記した俺の考えが危険であるのと等しく。
今日はいける。
そんな気分だ。
何か一つの要因なんてない。

今日までの道程も、今朝目にしたあの絵の写真も、朝家で聴いてきた黒夢も、新しい眼鏡も、電車で流れたKornも、今日の仕事も、仕事終わりのビールも、東急ハンズの入ったクソビルも、買い物してる雑魚共も、手に入れたテープや刷毛も、一人で乾した500mlも、BMXのトレーラーも、全てがNEOへと誘う。
今日はやれる。

そんな気分だ。
言ってみたって、やっぱり光ってんだよな。

だから、俺は明日描く。

何かが見えればそれで良し。
何にも見えなくてもそれはそれで良し。
多分、楽しいのは確実。

そうやって生きていければ良い。
二人が。
人生に幸せなんて求めること自体勘違いなんだよ。
世間じゃよく、どうせ死ぬんだから楽しく生きようなんて言うけど、オイラは逆で、どうせ後で死んで身軽になるんだから、生きているうちにヒドイ目に合おう。
辛く生きようと思ってる。
幸せになろうなんて、考えてないね。
~北野武~

そんなもんかね。
とにかく新たな発想だったのは間違いない。

仕事は真剣にはやらない。
真剣にやっている人間がいると周りの人間が疲れる。
~名無し~

その逆も然りってことで。

今日は久々に2ちゃんをロムってみたが、何だか数年前に比べて辛辣な、非生産的な書き込みが増えた気がする(単順にロムったスレが悪かったという可能性もある)。
人のことを言えた義理ではないが、あげ足取りや闇雲な中傷が多い。
それが、全て悪いというのでもないし、それが面白みだという意見もあるだろうし、そう思えなくもない部分が俺にもあるから時々見るんだけど、なんだかな、あまり面白くなくなったな、というのが率直な感想。
そんな中でも、「冥福を祈る」と「お悔やみ申し上げる」の使い分けは勉強になった。

mixiのとあるコミュニティでも、殺伐としたトピックがあった。
始まりは、よく見うけられる「教えて君」に対するお説教的内容で、真正直な人のマジレスなわけだけど、熱の篭ったマジレスに対する冷ややかな視線というのが、その後のコメントに現れていて、どちらのコメントも痛々しかった。

もう一つ。
久々に目を通した新聞から。

秋葉原以降、掲示板への殺人予告書き込みで逮捕・補導される件数が急増中。
~某新聞記事~

個人が簡単に利用できる吐き出し口(こういうBlogも含めて)が増えたというのも一つの原因で、潜在的な要因が確実に増えているのかどうかは知らないけれど、気持ちは良くないな、と思った。

嗚呼。
死んだら身軽になるんだからって、確かにそうかもしれないけれど、それじゃ生きてるうちも楽しく、死んで身軽にお気楽に、ってのは駄目かね。
北野さん。
もちろん「陽」の素晴らしさを享受するのには、それなりに深い「陰」を知らなきゃ駄目だってのはわかってるけどさ。

正常の定義はよくわからないけれど、人間は「生きるためのバランス」をとっているんであって、「正常でいるためのバランス」をとっているんではないんだそうだ。
オカルト/田口ランディーにあった。

そうかもね。
俺は発狂したことはない。
けれど、泥のように起き上がれないことはあった。
結局、それまで持っていた自分の世界でなんとかなった。
危機は脱した。
でもその時は正常ではなかった、と思う。

精神って、発狂しながらバランスとっているんだよ。
狂気ですらバランスなんだ。
生きるためのバランス。
~中略~
ひとには、みんなその人だけのバランスがあるね。
ああ、きれいな言葉だなあ。
バランス。
~バランス/0000/オカルト/田口ランディー~

「俺だけ」なんて、天地がひっくり返ったって思いやしないけれど、なんでこんなに生きずらいのだろうか、とよく思う。
バランス。
なんでこんなにとりずらいんだろうか、と。

異性に限らず、人を好きになるのは簡単だ。
でも、それを上手く伝えるのは難しい。
同性なら、出来る我慢が、なぜ異性だと出来ないのだろうか、と思う。
今日この頃。

もっと楽に生きられたら、もっと上手くバランス出来たら、というのは贅沢な無い物ねだり、かな。

先週、修理に出したメガネと、購入したメガネを受け取りに自転車を走らせた。
空は曇っていて、地面は乾く暇もない天気だったけれど、全くと言っていい程雨粒にさらされずに済んだ。

雨は涙。

涙を流さない俺のかわりに、空は雨を落とす。
少なくともそんな雨が何度かある。

もう涙は必要ないよ、と空に言われた気がする。
その位、お前はもう落ち着いているんだ、と。

実感はないけれど、そういうことなのかもしれない。
そんなことを思いながら、昼寝をした。
目を覚ますと空が明るい気がしたので、雨が止んだのかと思って窓の外を覗いてみたが、相変わらず地面は濡れたままだった。

これから、エポパテで直したメガネの仕上げにかかる。
言うなよと思った瞬間、自分にもそんな素質があることに気付き、憤る。
8/31「戦」

折角の休み前、つらつらと何か書こうと思っていたら、1:00からサーバーメンテナンスで更新不可らしい。
憤る。
が、あってもなくても、俺のやることは大して変わってないかもしれない。
思って直ぐに打ち消した。

短い目で見れば、確かにそうかもしれないが、長い目で見れば、強烈なインパクトの後、軌道は大幅にずれ目的地が別の進路へ進む。
波を立てた感情がゆっくりと収束に向かうのとは反対に、時が経てば経つほど、その影響は顕著になる。

それは、俺が求めていたからこそ出会った波であり、インパクトだったのかもしれないし、次の出会いによって修正がなされるのかもしれない。

でも、人生は有限だ。

26で感じたαという感情を持って30になるのと、それを持たずに30になるのとでは、やはり違う様に思う。
辿り着いた場所が同じであっても、それはX‐Y軸についての話であって、Z軸についてずれがあるはずだ。
もっと関数の勉強をしていれば、より具体的な表現が出来たのだろうか、と思い、「あ、これが証明になるじゃないか」と気付いて可笑しくなった。
関数を勉強しなかったⅠという俺、関数を勉強したⅡという俺を想像すると、考え方が同じであっても、表現方法が異なるはずだ。

パラレルワールドだ。
フラクタルにずれがあるのかどうか、そんなことは一生かかってもわからないであろう不精な脳みそが悲しく愛しい。

我ながら、「何を言ってやがんだ」と思う。
一人で解決出来る人。
一人で解決しようともがく人。
一人で潰れる人。
人に助けを求める人。
人を引きずり込む人。
想像力を働かせる人。
考えない人。

色々。

タイミングも色々。

皆強くて、皆弱い。
それでも時間は進んでいくから、何かを学ばなければならない。
それでこそ、だと思う。
羽根が生えて、いずれ飛べるとしたら、それは素敵なことだけど、そのタイミングはまだ俺には来ない。
来て欲しくもない。

昨日スピーカーを背にして話した彼との会話で、彼らを尊く思った。
昨日引きずり込まれそうだった俺は難を逃れた。

間違いなく温度が宿っているんだ。
少なくとも俺の周りには。
それが、間違いなく俺の救いでもあるんだ。
きっと、俺にも温度はあると思うから。

だから、もう少し落ち着いたら写真撮ってみなよ。
そのことに理由なんてないけど。
10年以上父親不在なのにも関わらず、離婚はしていない我が家。
海外出張とかそんなんではなく、状況証拠から推察するに、ただ単に自分の都合でパタリと帰って来なくなったのが父だ。

そして、途中2年弱独り暮しをしていたが、残りの期間、私は母と暮らしている。
情緒不安定で社会不信で器物損壊で堕胎な私を、女手一つでよく育てたもんだと感心する。
感謝する。

離婚しない理由としては、あまりにも時間が経ち過ぎ、こちらの生活が父無しでも成り立っていることが挙げられる。
母は私を立派に育てようと、自分と息子の生活を確立することで手一杯な生活だったと、さっき聞かされた。
父は、おそらく罪悪感に苛まれ、こちらへ連絡を寄越せないのだろうと思う。
それは母も同意見。

それを思うと、父は実に格好が悪い。
男の責任というのがあるだろうと思ってしまうので、益々無関心へと傾かざるを得ない状況だ。

早く離婚しないだろうか。

しかし、母としてはその決断が出来ずにいる。
私は、父方の祖父母の孫で唯一の男児なので、私が両親の離婚に際して姓を変えるということになると、現在の姓の後継ぎがいなくなるわけで、母はそれを少し気にしている。
それは数年前から聞いている事柄。

なんでもかんでも白黒をはっきりとつけて生きているように見える母だが、この一点のみはモヤモヤとモタモタとしている。
それは、父方の両親が善良だからだ。
これも数年前から聞いている事柄。

基本的には私と同じく直情径行な母。
というより、母方の親類は皆そんな感じなわけだが、その母が今日は父の話をずいぶんしてくれた。

離婚届は10年も前に用意していたらしい。
さっき聞いた。
それを、今日まで持ちつづけている母は、なんとなく母らしい。
何に関しても、物の管理や扱いが丁寧で、こんなものまだあったんだ(20年前のアイロン/現役だの、同コタツなど)というのが随分ある。

話は戻って、直情型な母がこの件に関してのみもたついている理由を聞いた。
先に書いた、自分の生活の確立に躍起になっていたら10年経っていたというのも事実である一方、傷つきたくなかったからというのもその理由らしい。
相手を傷つけることも躊躇ったという事だった。

私は、つい先日ぶつかってしまって失敗した。
母はこの10年ぶつからずにいて失敗した。

どっちにしても失敗かよ。
とちょっと苦笑い。

果たしてこれはカウントダウンの始まりなのか。

なんていう作り話妄想。

掛け替えのないもの。
芸術とは、人を突き動かすもの。

それって人生と同じ。
それって生きることと同じ。

嫌いな(無関心でいられる)絵があるように、音楽があるように、本があるように、彫刻があるように、声があるように、嫌いな(無関心でいられる)人間もまたそれぞれの価値観の中にある。

高尚だとか低俗だとかではない。

そこにはただ、好みがあるだけ。

彼は死んだが、キャンバスに生き続ける。
彼女は死んだが、音源は残る。
彼は生まれ出た瞬間に逝った。
彼女は子を残さずに逝った。

残る芸術もあれば、残らない芸術もまたある。
それは価値がどうこうということではない気がする。

Egoistic.

が好き。
正確には好き「だった」。

LEGOに始まり、モンチッチ・動物園、水族館のぬいぐるみ・筋肉マン・BB戦士・ガンプラ・G.I,JOE・バイオニクルなどなど、人形に拘りを持ち、それを思うがままに動かすことに執着してきた。

ここはこうが良い。
あそこはああが良い。
性格はこう。
育ちはこう。
宿命はこう。

様々な想像(妄想)が広がりを見せ、自己陶酔に近い恍惚を味わう。
自ら作り出した存在を自由にできるというのは、人間が子供を生むことよりも正確で無慈悲。

ここ数年人形遊びなどしていない。
時たま何かを弄くったりはするが、それはただの想起にに過ぎず、フラストレーションの限界というわけではない。
そう思っていた。

そんな中、欲しい存在が目の前に現れてしまったら、それはまず、俺を後退させるらしい。
そんなことない。

俺が独りで居る時の思考。
彼が独りで居る時の思考。
彼女が独りで居る時の思考。

俺と彼が居る時の波動。
俺と彼女が居る時の波動。
彼と彼女の波動。

どれも尊い。

だからこそテープレコーダーは生まれ、ビデオテープは生まれ、ビデオやDVDに進化したのだと思うが、それはやはり偽者でしかない。

例えば、世界的に有用な年号、西暦2008年9月10日の○時○分。
その瞬間、A地点でXという会話が成り立ち、それがどれほど魅力的だったとしても、それはその瞬間にしか存在し得ない。
時は戻らない。

例えば、当時の録画録音を見聞したとしても、それは単なる過去の追憶に過ぎず、当人たちは既にそこには存在しえない。
既に進んでいる。
例えば、2010年9月10日にその時の会話を再現したとしても、それは、2008年の再現に過ぎない。
それは単なる昔話で、御伽噺のようになるだろう。

生きているのは今で、重要なのはこれからの未来。

だからこそ、今日のこの時間・昨日の風景空気にいかに価値があり、記録をとっていなくとも勿体無いなんてことはない。
誰某2人の空気、3人の空気、それがあるからこそ、現象は生まれ、そこにレコーダーがあったり、誰かが居たりすれば、全くの異空間となる。

それでもなお、忘れられない夏があり、忘れられない夜があり、忘れられない酌み交わしがある。

俺の息、彼の息、彼女の息という観点での「域」、それはいつまでも尊い。
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