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~青二才徒然~コメント時PASSは空欄でOK
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が出て行く感じ。
カキがようやく落ち着いてきた。
カモと同じ様な症状。
終わりかと思うと不意に襲いくる痛み。

お陰で、トイレに置いてあるクソみたいな本をだいぶ読み進むことが出来たが、まだ1/4残っている。

なにはともあれ、身体的な毒は自浄作用によって排出されて治癒するが、もっと深くにあるものはそうはいかない。
全部全部正直にいってしまうと、色んなところにぶつかって、人も自分も傷つける。
ま、それでも前言撤回なんてのは、滅多にしない。
するとすれば、酩酊した勢いでの行為の訂正、あるいは、思考が変化するに足る時間を持ってする。
今までずっと。
そういう性。

距離感ってのが、今更ながらわかっていないのだと自覚する。
どのくらいまでならこんなもん。
これくらいだと近すぎる。
それじゃ遠すぎる。
というのがわからなすぎる。

分かると判ると解るの使い分け方位わからないことが、随分沢山転がっている。
物事が分かるということは、判断出来るということで、理解が出来たから判断出来るのだろう、それである法則なんかが理解できないと物事は分からないし、と思うと何が何やらさっぱりわからない。

三竦み、メビウスの輪には答えがない。
墓場まで持っていく荷物というのは、なるべくなら少ない方が良いな。
せっかく全てが終わるのならば、手ぶらに近い身軽で逝きたいものだ。
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x9
唇に毒を塗って僕の部屋に来たでしょ
あなたのKissでもう体も脳も溶けてしまいそう
~19才/スガシカオ~

9という数字。
あと二年半弱で29になるな、と思った。

夢占いで言うところ、二は対立や葛藤、また、「母なるもの」を表す。
三は新たな可能性や想像、「父なるもの」や「神」のイメージ。
九は三の二乗。夢のイメージだと「天と地と冥界」を結ぶイメージ。また人間の「精神と肉体と魂」の統合のイメージとも言われる。この九が三つ並べば、ノストラダムスでなくとも何か予言したくなる気持ちはわからないでもない。
オカルト/田口ランディ

9というのは何かの終わりであるようで、次のステップへのきっかけや準備であることが多い気がする。
俺は、ずっと19を引きずってきているのではなかろうかと、ふと思った。
要するに進んでない。

ところで、スガシカオの19才のPVを観て少し驚かされた。
ポップミュージシャンのPVじゃないなと。
なかなかやるじゃんと。
御時世を考えたら作れない作品だなと。
何も出来が良いというわけではないけれど。
カタマラナイジメンニ ハナハサカナイ
ソレデモアナタハ ワタシヲウメヨウトスル
~かたまらない地面/まさお~

何年も前にストリートミュージシャンから買ったCDRに入っている曲。
ずっと、良いセンスだと思っていた。
今は実感を持って聴くことができる。

夏に、自分で起こした波風に晒されて、未だに光が見えずらい。
そんな今。
というのは、そう簡単に瓦解しない。
「自殺/柳美里」で「死んでやる」などと書いて、とある人に心配をかけてしまったことが発覚したので補足。

数多くの人間が自分の生命を絶つということをしている世の中だけど、それを自分に置き換えた時にポトリと落ちてくる言葉は「何故」という疑問と「まだやれる」という宣言。

結局、「俺にはこれしかないんだ」というのがないから、俺はきっとなかなか死なない。

例えば、絵を描くという行為。
例えば、詩を書くという行為。
例えば、スポーツ。
例えば、労働。
例えば、家族。
例えば、友人。
例えば。

これが駄目ならまだこちら、それもだめなら、次はあちら、と幸運なことに色々ある。
それら全てを失ったら潔く死を選ぶという話。

悪く言えば、そういったものが多数あるからこそ、全てが中途半端なのかもしれない。
それはそれで悲しい気もするが、不慮の事故は除いて、息をしていられるというのは、やはり幸運な気がする。
生きてさえいれば、色々出来る。
もしかしたら、死んだら楽しいのかもしれないけれど、宗教は嫌いだし、輪廻転生なんて具体的に感じたことはないし、信じられない。

そんなことより、息をして生きている大地の上で、明日は何が出来るのだろうということの方が興味深い。
何度でも、見つけてやるさ。
光を。
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特に言葉は要らない。
Thanks TKI,His Mon Petit,Nico&Matsuo
必要な時と、そうでない時がある。

本を読む時期。
読まない時期。
友達が欲しい時期。
恋人が欲しい時期。
いらない時期。

なんで本を読まなくなったんだろう。
なんで音楽を聴かなくなったんだろう。
なんで。
なんで。
なんで。

それは、その時それは必要でないからだと思う。
そんなのなくても生きていられる時期。
そういう人生の時期。

また必要になるかもしれないし、もう必要ないのかもしれないけれど、それはどちらに進むとしてもなんにも悲しいことではないのだと思う。
だって、それがそれぞれの人生じゃないか、と思う。
本なんて一冊も読んだことのない大人も居るだろう。
PUNKなんて要らない人生もあるだろう。

それでもやはり、本を読むことの意味や、エモーショナルな音楽を知らない人よりは知っている人の方が俺は好きだ。

~秋の夜長の長電話より~
ではないが、今夜TVタックルを見ていて思った。
ここ数年、俺が方々でこき下ろしてきた組織が次々に崩壊している。

国、行政、スポーツ団体、企業、中国、などなど。
具体的には、アメリカ・日本、年金・社会保障・格差社会、八百長相撲・ドーピング、証券・不動産・労働問題、食の安全、などなど。

政治は腐り切って与党は支持されず、野党は具体的打開策を提示できず、裏金まがいの埋蔵金の問題が出て、私立高校では受験勉強だけが淡々と為され、小学生で塾通いは当たり前、学校教師や公務員までもが犯罪を犯し、親が子を殺し、子が親を殺す。
政治は、アメリカのご機嫌を窺うべきなのか否かの判断もつかず、国内の統制すらままならない。

起こっているのは「信用の崩壊」。

そうしたら、実は、選挙ってやつも嘘っぱちじゃないのかなと。
民主主義が伽藍堂になっているのではないだろうか。
そのうち、選挙委員会から大きなボロが出るんじゃないだろうかと。
現金や物品の譲渡による公職選挙法違反が何件か出るなんて生易しいものではなくて、選挙自体が「出来レースじゃねぇかよ」といった大きなボロ。

こんな想像、普通はそうならないで欲しいとかって思ったりするんだろうけれど、俺は、是非そうなればいいと思う。
少なくとも今は。
そして、第三次世界大戦でも起きて、人口が激減すればいいんだと。
これで、世界のエネルギー問題も解決さ。
ま、万が一その戦争を俺が生き残れたとしても、世界が安定する前に死んでるだろうけど。
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ぽい、歌を司るのを初めて見た。

なんだこんなモンかというのが正直なところ。
ただし、俺は好きだった。

何でもありなんて言われてるRapperや、アナーキー気取ってるPunkな奴すら正直に言えないことを率直に言っていたとは思う。

俺との違いは、発言が「各論」か「総論」かという点。
俺は各論。
彼は総論。
ぶっちゃけた話、どうせローカルならとことん各論でいいと思う。
総論に歩み寄れば、それは一般論と化すから。
誰でもが言える発言に価値はない。
新しい、センセーショナルを巻き起こすものほど、価値がある。

下らない人間の、詰まらない話が無価値だとは言わないが、天秤にかければその差は歴然。

ためになる話とは何なのかを考えろと言いたくなるのも事実。

結局、自画自賛。
結局、自己陶酔。
結局、自己中心。
結局。
小学校の頃の英雄の話。

彼は、リトルリーグに入っていた。
塾へ行って勉強も出来た。
心もきれいだった。
学校内で特別仲が良かったわけではないが、困ったときは「サッ」と現れて問題を解決していく奴だった。
親同士は何故だか仲が良かった。
正確には仲が良かったように見えた。

今になって当時の話を母に聞くと、「ように見えた」というのがより現実に近かったのだと納得できる。

英雄の母は俗に言う「教育ママ」だったようだ。
我が家はどちらかというと、おおらかに育てられた家庭。
英雄の母は、その点を押し付けがましく「私のように子育てをなさい」というような事を言ってきたという話。

でも、それは今だから理解できること。
当時の俺にとっては、彼が英雄であって、それだけが事実だった。
それ以外の大人の思惑など知る由もない。
それが子供だと、今も思っている。

実際、そんなもんではないのだろうか。
世の子供というのは、もっと色々のアンテナを張っているものなのだろうか。
その点で、俺は周りより遅れていたのだろうか。
そんなことが頭をよぎる。

それとも、子供の頃の記憶というのは、フロイトの言うように深層心理に隠されてしまっているものなのだろうか。
子供の社会での政治的力関係というのは、大人社会でのそれと同じく複雑で、幼い頃はそれを読み取って生きていたのだろうか。
なんだか、あまり信じたくはない話。

「○○君ね、なんだかいじめられてたよ」
そう○○の親に伝えられる彼はやはり英雄だと思う。

その彼は今、何をしているのだろうか。

俺も、おそらく英雄に近い存在であったことがある。
高校くらいだろうか。
欲しいものは殆ど手に入った。
人の面倒もよく見るほうだった。

その自信がなくなる可能性という恐怖など感じたことはなかった。

そして、おそらく、今もその自信を頼りに息をしている種類の人間なのだと、自分のことをそう思う。
なんざあんまり考えない方。

「海賊が財宝を狙ってなにが悪い」
~ドーラ/天空の城ラピュタ~

いつまでも落ち着かない。
子供。
開き直り。
開き直り切る意気地はそんなにないけれど、それでも、あんまり我慢はしない。
出来ない。

欲しいモノは欲しい。
要らないモノは要らない。
好きなモノは好き。
嫌いなモノは嫌い。

酔った勢いは間違いだらけ。
それでも酒は止めやしない。
クラブにいても過ちだらけ。
それでも通うのを止められやしない。

なんて微妙な所に居るのだろうか。
俺は。

どうしろってんだ 及び 何がしてぇんだ
マニュアルなんかねぇんだな恋はオートマ
~恋はオートマ/DABO Feat. HI-D~

いや、恋に限らず。
実際問題、制御不能なオートマなんかではないんだけれど、そういう時もあって、大体それは後になって操作ミスに気付くんだという話。

You sure you want to be with me
I've nothing to give
Won't lie and say this lovin's best
Leave us in emotional peace
Take a walk, taste the rest
No, take a rest

Don't want to be on top of your list
Phenomenally and properly kissed
We overcome in sixty seconds
With the strength we have to together
But for now, emotional ties they stay severed
When there's trust there'll be treats
And when we funk we'll hear beats

Karmacoma jamaca’aroma
Karmacoma jamaca’aroma
Karmacoma jamaca’aroma
Karmacoma jamaca’aroma
~Karmacoma/Massive Atack~

紫煙に乗って何処までも。
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の人間が、どんなに人のことを思ってみても、そう簡単に人は変わらない。
伝わっても、変わらない。
言うことを聞くとか聞かないとかのレベルではなく、それくらい変わるというのは大変な作業だということ。

猫のように気まま。
着の身着のまま、風に吹かれるがまま。
風を感じるのは自分自身。
あんな風、こんな風、色々の方角へ行けるのに、よしこれだ、と判断しているのは自分自身。
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季節はこんなにも早く変わるというのに、なかなか変わることが出来ない人間。
もっと柔軟に対処できたら楽なのに、苦しみからしか回答を得られないのは、様々な風が吹き荒れているからか。
落ち着いて周りを見るべきだ。
あまりに近づき過ぎると、全体像を見失ってしまう。
ゼネラルなものの見方をしろ、というのでは決してない。

地図のような確固たる判断材料を片手に、不要なものはリアルタイムに切り捨てる。
自分の足で枝葉を折り、パキリポキリと進んだら、自分の骨が折れていた、なんてことはそうそう滅多にはないことだ。
刺激なくしては、生きていけない人種。

どんなに小さなことであっても気が付ける。
どんなに小さなことにでも刺激される。
そんな感受性の強さがあれば、特殊な生活は必要ないのかもしれない。
けれど、俺はそういうのではない。

それは確かだ。

もちろん、他人はなにも感じないところで、何かを感じたりはする。
でもそれは、他人が何か感じるところで、何も感じないことと相殺できる程度のもの。
ずば抜けて感受性が強く、多感だというのではない。

現時点で、俺の目から見てつまらなそうな人生を「人生なんてのはそんなもんだ」と肯定して生きている人々は、いったい何者なのだろうか。
強い刺激が要らないのだろうか。
些細なことに、逐一刺激を享受出来る人物なのだろうか。
そうであるならば、羨ましい限りだ。
そして、決してそうではないのだと思いたい節が昔からある。

つまりは、「つまらない人生に堪えてんだろ」と言いたくなる。
「苦しいんだろ、苦しいのにも慣れちまって、やりたい事の一つも実行に移せないんだろ」と言ってやりたくなる。
「あきらめてんだろ」と。
馬鹿にしてる。
裏で舌を出して笑ってる。
悲しい最中で笑ってる。
涙を流して笑ってる。

口で笑っても目が泣いている
道化師みたいに澄んでいる
~抱擁/Shing02~

俺の目は澄んでいやしないし、清くもない。
けれど、悲しいのはわかる。

刺激に飢えて、餓えてる自分が悲しいのだ。
世の中の殆どすべてが敵だと思ってしまうような、自分が悲しいのだ。

そして、刺激は、常に右肩上がりでなければ、効果がない。
気を抜けば、直ぐに世の中の仲間入り。
それも避けたい自分に気づくこともまた、悲しいのだ。
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の風景。

昨日乗って帰ってきたDusterで、隣の市の警察署まで。
紛失したカードケースを引き取る。
身分証とキャッシュカードを手に銀行へ。
カードの発見手続きをとり、電気屋へ。
その道中見つけた風景。

太いしめ縄。
間口が広いせいで、しめ縄の高さが低く感じられる。
夏の西日なら、奥のほうまで日が差し込みそうだが、それ以外の季節には、薄暗さを保っているようだ。
20081015225848.jpg
覚めやらぬ夜。

最大の賛辞と言って良いだろうか。
彼としてはそうでなくとも、俺はそう思う。

「いやぁねぇ。ほんま、こんな形で会わへんかったら良かったですねぇ。」
「こんな、先輩後輩の関係なんて鬱陶しいじゃないですか、同い年やのに。」

会って一年半になる関係。

「○○グループに横乗りの風を吹きいれたのは秋山さんですからねぇ。」

10年・20年後も良い関係でいたいですね、と言った。
本心から。

がかかった文章だ、と言われた数日前。
納得した。
褒めるとか貶すんではなく、ただ単にそう思ったんだろうと思った。
そして、それを伝えるということは、嫌悪感を伴ったものではないんだと確信した。

霧。
今夜は霧のような雨。
長袖、長ズボンであっても、体温は奪われていく。
フードの隙間から舞い込む水滴。
自転車は進み、風が水滴の冷たさを強く実感させる。

一雨毎に秋は深まるというけれど、キンモクセイの刺激も消えた最近は、すっかり冬の足音を聞いているよう。

カードケースはなくなるし、人恋しく寂しい季節だな、と思っていたら、カードケースは隣の警察署に届いているということが判明。
カードケースは捨てたものではない。
落としたもの。
世の中は、まだ捨てたもんじゃない。
などと楽観視してみる。

明日は日帰りで名古屋。

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